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僕たちに必要なのはジョンレノンを歌うことではない

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 「友だちには国境はない」と、あなたは言う。イランとイスラエルのあいだで始まった平和活動を、東アジア三国(日中韓)に置き換えて「NO BORDER」を、つまり「友だちに国境はない」と呼びかける運動があるという。

 しかし友だちをつくるのに「国境はほんとうにない」のだろうか。

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 僕には山西省生まれの友だちがいる。かれは西安で大学生をやっていて、もうすぐ卒業する予定だ。将来の夢は映画を撮ることだけど、卒業後の就職先はまだみつからない。

 映画監督を夢みる多くの中国人がそうであるように、かれもまた日本の映画(とくにちょっと古い映画)が大好きだ。小説も読む。そこらへんを歩いている日本の大学生をつかまえても、かれくらい日本の映画や小説にくわしいひとを見つけるのは難しい。

 かれには兄と、双子の弟がいる。双子が生まれたときには、中国社会には一人っ子政策がすでに根づいていた。そして不幸なことに両親は貧しい農民だったから、政策を犯したかどで支払わなければならない罰金を払う余裕もなく、かわりに家財道具をごっそり持っていかれた。いまでは双子の両方ともがすくすく育ち(背は低いが)、生活はきわめて苦しいけれど、どうにかこうにか大学に通っている。

 かれと僕とはTwitterをとおして知り合った。西安や北京で何度か会ったこともある。いまでも週に一度は微薄(weibo)でお薦めの映画情報なんかをやりとりしている。

 一年半の中国生活を終えようとしていたとき、僕は日本へ帰国することをかれに伝えた。かれは僕に尋ねた。「中国にはいつもどってくるの?」

 「来年の春には仕事のためにもどってくる」と僕は言う。「わかった。じゃあそれまで楽しみに待ってるね」

 そんなかれに、言いたくても言えない言葉がひとつある。いつか日本へ遊びにおいでよ。そのひとことを、口にすればたった十秒で消えてしまうその言葉を、僕はかれに向かって最後まで口にすることができなかった。

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 日本政府が中国人の個人旅行者にたいする「観光ビザ」の発給要件を緩和したのは去年のことだ。それまで年収25万元としていた申請条件を、年収10万元まで引き下げたのである。

 年収10万元ということは、月収にして約8千元だ。中国では大卒の初任給(平均)が月額3千元に満たないこと、また大卒が人口の10%に届かないことを考えれば、日本という国が、どういう「中国人」を欲し、どういう「中国人」には国境を越えてほしくないと考えているかを理解するのは難しい作業ではない。 

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 もうひとつ。僕には中国人の恋人がいる。「かれ」とはクアラルンプールで出会い、北京でも生活をともにした。僕らは同性どうしだ、けれど(?)、これまでに中国人や日本人などの国籍を問わず、多くの友だちに支えられて関係をきずいてきた

 かれは北京で、外資系企業(アメリカ)に勤めているが、年収10万元にはもう一歩とどかない。だから観光ビザで国境を越えることはできない。中国人が日本へ来るためには、観光ビザ以外に、留学や就労ビザにくわえて、配偶者に与えられるビザもある。しかし中国と日本では同性婚やそれに類する同性パートナーシップ法の整備が存在しないため、かれと僕のあいだでは、異性どうしの恋人であれば認められるはずの配偶者ビザが認可されることもない。

 ならば、留学や就労ビザを取得して日本へ来ればいいとあなたは言うだろうか。日本へ来る中国人はみんなそうしているのだから、それくらいの努力は払うべきだとあなたは口にするだろうか。あるいは同性婚だってずいぶん話題になっているのだから婚姻制度を変えるために裁判でもなんでもすればいいじゃないか、それくらいの努力をしないで文句をたれるのはフェアじゃない、と。

 けれど、もしあなたが「NO BORDER」を、つまり「友だちに国境はない」と叫ぶのならば、東アジア三国のなかではいかなる資格をもたずともひとが自由に行き来できる権利を認めなければならない。あなたの視界には入らないどこかのだれかに法制度の不備(を改良するための努力)を一方的に押しつけることなく、あらゆるひとがなんの努力をしなくとも、平等に、日中間を往来できるべきだと声高に叫ばなければならない。

 しかし現実はそうではない。僕らの社会はそうなっていない。日本国籍を有する「僕ら」は、たとえビザをもたずとも(いかなる資格を有さずとも)十五日以内であれば中国へ行くことができる。そのための航空券や旅行費だって、大学生でも、ちょっと無理をして肉体労働をすれば1週間くらいで稼ぐことができるだろう。その容易さは、まるでそこには「国境なんて存在しない」とあなたに言わせるかもしれない。というか、そもそも僕らは、国境の存在など意識することなく飛行機に乗ることができるのだし、じっさいにそうしてきた。

 けれども中国人はそうではない。事実、僕の中国人の友だちの多くは、その資格を持たないがゆえに日本へ来ることができない。僕の友だちや恋人のような中国人には、つまり金を持たなかったり、あるいは社会の規範から外れた中国人にたいして、僕らの政府は「日本へ来るな」と言ってきた。過去にも言ってきたし、すこしは控えめになりつつあるけれど、いまでも同じことを言っている。

 僕は、生まれ育った国の政府がそんな恥ずかしいことを言い続けてきたこと、あるいはそれにもかかわらずビザ支給にかんする制度や婚姻制度を変えるための努力をこれまで払ってこなかった自分のいたらなさを思い、そして日本へおいでと声をかけることのできない友だちが中国やほかの国にたくさんいるという現実に、どうしようもないやりきれなさを感じる。

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 「僕ら」のあいだに国境はある。友だちに「なる」のに「国境はない」かもしれないが、友だちや恋人で「ありつづけること」、つまり長い時間をかけて関係をつづけていきたいと願う僕らにとって、そのあいだに横たわる国境の存在は避けて通ることができない問題だ。多くの日本人は、中国人とそれほど長く関係をきずくことがないからその事実に無頓着でいられるかもしれない。しかしその事実の裏で、「国境はない」と声をあげることのできないひとたちがいるという事実を見過ごしてはならないし、忘れてもいけない。

 もしあなたがその事実に気がつかず/あるいは知っていても気がつかないふりをして「それでも国境はない」と歌うなら、僕はあなたを「夢見るひと(=dreamer)」と褒めのではなく、「現実」を見ようとしない愚かなひと(=too naive)だと批判するだろう。

 

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 上には書かなかったけれど、だからといって同性婚を認めるべきだという意見を心の底から支持するわけでもない。あればよい、というか、あったら楽になるにちがいないという感覚と、そうではない論理のあいだで引き裂かれたりもしているのだが、これについてはまた機会があれば。  

北京クィア映画祭ノート(1)

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 僕が北京留学を決めた理由のひとつに、北京クィア映画祭(2001-)がある。

 前回の記事で述べたように、中国生活にかんする僕の見通しは甘かった。当時の僕は中国語もろくにできなかったくせにあまりに楽観的だった。もちろん楽観的な傾向は僕の人生にとってプラスに作用してきた面もおおきいが、ときに自分の首を絞めることにもつながる。と、それはともかく。そうした厳しい生活のなかで、たくさんのひとに支えられ、留学前に掲げた目標のほとんどは達成することができた。もちろん計画どおりにいかなかったこともある。しかしいくつかのこと予想以上にうまくいった。

 さて、北京クィア映画祭の運営にかかわりたいと考えたのは、まだクアラルンプールで働いていた頃だった。当時、中国に留学したいと思うようになり、でもただ留学するだけではつまらないと考えた。それで中国の社会運動について調べることにした。当時は中国語がほとんどできなかったから、英語を使って、それから付き合っていた中国人の恋人にもいっしょに調べてもらった。そうして見つけたのが北京クィア映画祭だった。(後述するが、北京クィア映画祭は、きわめて戦略的に欧米メディアに向けて情報発信をしてきた。だから英語を使って調べていた僕がかれらの情報にアクセスできたのもけっして偶然ではなかったのである。)

 クアラルンプールで働いていた当時からゲイとして文章を書くようになり、いつしか性的少数者の社会運動に取り組みたいと考えるようになった。ただ、僕は同性愛という性的指向の問題だけにコミットしたいわけではなかった。

 幼い頃から「もっと男らしくしなさい…」などというジェンダー規範にたいしてある種の息苦しさをずっと感じていた。就職してからは、会社のなかに当然のような顔をしてはびこる男女差別にたいして強烈な違和感があった(けれど状況を改善するために動かなかった。そういう意味では僕も男女差別の構造に加担していたひとりであった。)そういう反省があったから、「性」の問題について幅広い視点から考えたいと思った。それで北京クィア映画祭にたどり着いたのである。

 

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 北京クィア映画祭は性的少数者の社会問題だけでなく、中国政府による映画検閲や独立映画の抑圧問題にたいしても自覚的に取り組んできた。けれども当時の僕は中国の映画環境について何も知らなかったから、そのあたりの事情については運営にじっさいに関わってゆくなかで学んでいった。

 ところで中国における性的少数者フェミニズムの運動は、日本語では東山日出也さんがブログ(中国女性・ジェンダーニュース+)でとても丁寧に紹介をされている。また独立映画にかんしては、だーしゅーさんがブログ(鞦韆院落)で取りあげている。僕の知るかぎりでは、日本語で、中国のジェンダーやセクシュアリティ、あるいは独立映画の現状についてアクセスできるウェブサイトはこの二つしかない(ほかにあったら教えてください)。 

 日本語での情報アクセスが限られるという事情を考慮した結果、このブログでは学術論文の形式はとらず、私的メモとして北京クィア映画祭とのかかわりについて書くことに決めた。長くなるから(しかも書きながら構成を組み立てている)複数回にわけます。読者にとっておもしろいかどうかわからないのだけれど、日本人は中国についてあまりに無知である(というか、ほとんど何も知らない)という危機感の下、なるべく丁寧なメモを残していくつもりだ。

 

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帰国翌日に思い知る金の話

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 日本に暮らすって金がないと始まんないのね。どこへ行っても何をしてもカネ、カネ、カネである。 

 日本にかえってくるのは半年ぶり。それでも気分は浦島太郎だ。まるでクアラルンプールに赴任した2009年以来、はじめて帰国するみたい。

 日本語が、でてこないのだ。北京にいるときも日本語は毎日使っていたのに、カフェの店員さんと挨拶を交わしたり大阪グランドフロントでトイレの場所を聞いたりするときに日本語がでてこない。そのたびにびっくりして、オレは太郎か、って思う。

 それで、金について。中国の生活を終えて貯金が限りなくゼロに近い。次の仕事も目処が立っているような立っていないような感じだし、ヤバいくらい金がない。いや、正確には金がないというか(ないんだけど)「カネがなくてヤバい」っていう危機感のほうがつよい。中国語的に言うと「没有安全感」。

 日本で暮らすと、たとえばどれくらい金がかかるって、スーツのクリーニングに980円。ソフトバンクでプリペイド携帯をチャージをして3,000円。リップクリーム200円。化粧水については、日本マジ湿気すごいから潤いじゅうぶんだろってごまかせたことにしてまだ買ってない。それからBook1st(江坂店)でずっと楽しみにしていた浅野いにお『うみべの女の子』2巻(735円)をなけなしの金をはたいて購入したら製本不良でページが飛んでいた。(交換してもらった。)ついでにたまたま見かけた姜尚中『在日』を買おうとしたけどあきらめて、ブックオフで購入(200円)。本にかんして言うと、日本を離れているあいだにAmazonで「ほしいものリスト」に登録した本が計23冊の約4万円。ずっと昔、新宿で働いていた頃は毎月3万から5万円くらいは書籍代に費やしていたんだけど、あれいつの前世?みたいな感慨が襲ってくる。

 そんなこんなで帰国した翌日だけですでに5千円が消えてしまった。中国にいたら毎日300円しか使わないのに!

 日本に暮らすってカネがないと始まんないんだよ。マジで。金がないと電車にさえ乗れないんだもの。

 会いたい友だちがたくさんいる。みんな全国に散らばっている。ところが大阪府内を移動するだけで電車代が高くつくし、友だちに会うのはしばらく我慢だ。江坂から梅田まで往復460円もかかるし。

 そういうわけで、とりあえず職務経歴書を書いてみた。働くことにした。さっそく週明けに社長に会ってきます。なんかすごいおもしろい企業だから期待値あがりまくりなんだけど。パートタイム希望で、しかも「アルバイト募集してない」にもかかわらず会ってくれるって。楽しみだ。

 

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帰国しました。アホでした(中国回顧録①)

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 北京生活が終わりました。「とりあえず」や「しばし」のない帰国。三日まえに大阪へかえってきました。

 最後の二ヶ月は腰を落ち着ける暇もないほど慌ただしく過ぎました。6月の北京クィア映画祭。7月は北京日本人学術交流会で北京クィア映画祭の報告と、約一年にわたって準備をつづけた日中ドキュメンタリー映画祭の開催。8月頭には部屋を引き払い、そのまま山西省へ旅行。そして帰国前日まで中国人活動家たちへ取材を重ねました。(このあたりの話については前のブログでちょっとだけ言及しました。)

 帰国当日、別れの朝は泣きじゃくってしまいました。過ぎ去った日々のこと、これからの別離について考えると、それだけで胸がぎゅうっと締め付けられてしまった。その痛みは十代後半からなんども経験したことがある。だからいくぶん慣れているつもりだったけれど、だからといって痛みが和らぐことはないのだと知った。三十歳になっても、わんわん泣くときは泣くのです。

 

 中国における一年半の生活をふり返ると、北京大学に在籍していた時期がいちばん楽だった。

 中国に着いたばかりの頃、中国語はほとんどできなかった。だから大学の外に部屋を探したり(北京大学の留学生寮は一日百元と高い)、入学手続きでさえひと苦労だった。北京に住み始めて二ヶ月くらいが経ったとき、マクドナルドでクレームしようとして中国語が出てこず、帰り道に悔し涙を流したこともあった。しかし、それでも所属すべき組織がきちんとあり、ビザのあれこれについて思い悩む必要がなく、大学が敷いてくれたレールを踏み外さないように歩きつづけるという道のりは、ふり返ってみればやはり平坦だったと言える。(中国に来たばかりの頃の苦労については『福永玄弥の中国留学日記』に書いた。)

 北京生活でいちばんしんどかったのは、大学生という身分を捨てることを決意してからだった。(ちなみに北京大学は、社会学を学びたいと考える僕にとっては恵まれた環境ではなかった。北京大学社会学院で、いちばん人気のある社会学者による大学院向け授業の初日、ゲイであることをカミングアウトして中国の性的少数者による社会運動を研究したいと打ち明けたときの先生の黙殺はいまでも忘れられない。いっぽうで、僕の発言を耳にした生徒たちによる熱気のあふれた拍手もまた印象的だった。)

 まず、ビザの問題である。当時は日本語教師の仕事をしており(時給百五十元)、ウェブサイトで生徒を募集するという自営業に近いものだったから就労ビザを取得することはできず、どういう身分で中国に滞在するかという問題にぶつかったのだ。けっきょく「地球村」という語学学校で最小コマの中国語の授業を受けることにして留学生ビザを取得することにした。(そうしてやむなく通いはじめた「地球村」でも得がたい出会いがいくつもあったのだから人生はやはりおもしろい。)それから公安へ臨時居住許可書を提出するのも面倒だった。複雑で馬鹿げたシステムであり、ここには詳細は書かないけれど、少なくない中国人の友人の手を煩わせてやっと申請がとおった。

 だけど、ビザや公安よりも生活費を稼がなければならないというプレッシャーがもっともおおきかった。当たりまえだけれど、食うためには働かなければならない。思うように語学ができない環境で、映画祭の仕事(非営利)や研究をこなしつつ日銭を稼ぐというのは、生活のリズムを獲得できるまでは容易ではない道のりだった。

 僕にはそれ以前にクアラルンプールに駐在した経験があった。だから「中国の生活もまあなんとかなるだろう」と前向きに構えていた。その認識が、甘かったのだ。

 駐在員は、所得の高さに準じて少なくない額の税金を当該国政府へ支払わなければならないが、ということはつまり中国や東南アジアでは富裕層であることを意味する。ある程度規模のおおきい日系企業に属していればビザの心配をする必要はないし、住むところを探すのにもたいした苦労はない。なにより金のあれこれについて思い煩うことなく日々を過ごすことができるのだ。(もちろん駐在員にも駐在員なりの苦労はあるのだけれど。)

 頭では理解していたつもりだったけれど、中国へ行くまで、身分を保証してくれる組織を持たない外国生活について楽観的に考えていた僕は、いささか控えめに述べたとしても「アホでした」と言うほかはない。(つづく)

 

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